my grandpa

『grandpa’s tree』は、”おじいちゃんの木“という意味です。

私がジャム作りを始めたのは、おじいちゃんが植えてくれていたイチジクの木がたくさんの実をつけたことがきっかけでした。

ブログの初回は、その、おじいちゃんについて。

おじいちゃんは、大工さんでした。

小さなころから、日焼けした逞しい腕とゴツゴツした手で、仕事場で木材の加工をしている姿をたくさん見ていました。仕事場はいつも、木の香りやニスの香りがプンプンしていて、なんとなく、勝手に立ち入ってはいけない場所、と感じていました。でも時々、仕事場にある”かんな“で削ったうす~い木や、細かく細かく砕かれた木をこっそりもらってきて、おままごとに使って遊んでいました。おじいちゃんの部屋の製図に使う道具にも興味津々で、その頃はまだ珍しかった電動の鉛筆削りや、コンセントに繋がった、大きな電卓で遊んだことをよく覚えています。

夏になったら、従兄妹たちもやってきて、おじいちゃんは庭に大きなプールを作ってくれました。お手製のプールに、川から水を引いて、みんなでたくさん泳いで遊ぶのがとっても楽しみでした。なんでも工夫して、器用に作ってくれるおじいちゃんでした。今でも工房では、おじいちゃんが晩年に作った長椅子を使っています。

頑固なおじいちゃんでしたが、孫の私たちには本当に優しく、会いに行くといつも”ニコッ“と笑って、”よ~きたね。こっちに来んかい。”と言って手招きしてくれていた姿を、今でもよく思い出します。

大学に入り、地元を離れてからも、帰省すると必ず会いに行ったし、筆まめだったおじいちゃんは、信じられないくらいの小さな字書かれたハガキを送ってくれました。私はいつも、旅先からハガキを出すくらいで・・・電話ですませてしまっていたな、とちょっぴり反省しています。

オシャレだったおじいちゃん。

仕事着は”ジーンズ“を履き、出かけるときは”ポマード”で髪をセット。

よく帽子を被っていたので、贈りものには何度か帽子を選びました。中でも、ドイツに旅行に行った際に買って帰ったハンチング帽をとても喜んでくれて、色んな人に自慢しながら、冬場は家の中でも被ってくれていました。

そんなおじいちゃんが旅立った時。

県外に住んでいた私は、連絡を受けてから、慌て過ぎて電車に乗り過ごし、夜行バスで帰りました。

私が帰ると聞いていたおじいちゃんは、到着が遅かったので”電車に乗り遅れたんじゃないか。“と心配してくれていたそうです。おじいちゃんの家に着いたら、幸せなことに、しばらく会話ができて、私が当時引っ越した部屋の間取りや、家賃はいくらなのか、仕事は順調なのか、と最期までそんな話をして過ごしました。

途中で終わってしまったままなので、いつかまた、その話の続きがしたいな・・・と思っています。

おじいちゃんはもうすぐ90歳を迎えようとしていて、十分長生きしてくれたけど、旅立ってしまったことが本当に寂しくて、今でもふと思い出して、無性に会いたくなります。

けれど、おじいちゃんが旅立った翌年にたくさんの実をつけたいちじくの木が、私にジャム作りのきっかけを与えてくれ、おじいちゃんが建てていた納屋を工房として使わせてもらうようになり、そこから、たくさんの方とのご縁を繋いでくれました。

grandpa’s tree、おじいちゃんの木のおかげです。

いつの日か、この話をおじいちゃんに聞いてもらえますように。

ブログの初回は、おじいちゃんについて、と決めていました。

思い出すと色んなエピソードと自分の想いが溢れてきて、どんどん長くなり、なんだかうまくまとまらず・・・時間がかかってしまいました。

でも、文章に書き出して、少しスッキリした気がします。

これからも、おじいちゃんへの想いを大切にしながら、grandpa’s treeを続けていきたいと思います。

さて、次回のブログは何を書こうかな・・・既にネタ切れのような気もしていますが。笑

気の向いたことを、気の向いた時にブログで時々綴れたらな、と思いますので、気長にお付き合いいただけますと幸いです。

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