1年以上ぶりのブログ。
昨年、自身の事業を法人化しました。想像以上にバタバタで、まだまだ色んなことが手探りの毎日です。
そう言えば・・・大学の卒論は『起業』だったのです。もう20年近く前のことですが・・・大学外の活動に熱心だった私は、当初希望していた国際政策系のゼミを希望していた熱心な生徒の数に圧倒され、当時全く興味がなかった、金融系のゼミに紛れ込んでしまいました。同級生達が銀行や証券会社に就職していく中、私は運よく興味のあったジャンルの企業へ。(それについては、『Yokohama』で触れています)
そこから10数年、転職も何度かしながら、その時々で自分の興味のある分野で営業活動をする会社員として働かせてもらいました。
大学生の頃の私よ、もう少し熱心に学んでおいてくれたらよかったのに・・・などと、最近になって思いますが、当時の私には、興味はあったけれど、さほどピント来てなかったんですね。
“会社員としてバリバリ働くこと。”という漠然とした夢のもと、社会人生活を主に関東で送り、まさかまさか、ずっと離れたかった地元の丹原に戻ってくる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした。もっとずっと、歳をとってからのことかと思っていたな~。
でも、戻ってきたからには、ここでしかできないことをしたい。昔は当たり前すぎて気付くことのなかった、大好きな果物の豊富さと美味しさを活かした仕事を始めることができました。これももちろん、まだまだ、ここからなのですが。
昨年末から縁あって知り合った、地元で事業を行う仲間たちと、丹原の未来についてたくさん話し合う機会を持つことになりました。丹原には、素敵な事業をされてる方がたくさんいるのです。
やはり、私の子供の頃から比べても、子供が減り、耕作放棄地が増え、空き家が増え、猿やイノシシ、鹿に遭遇することが増えた丹原。人間の生活するエリアがどんどん狭くなっていく気がしています。農家さんも目に見えて減っており、農産物を使わせてもらっている立場としては、危機感を感じていました。
私は農業をしたこともなければ、知識もなく、どうしたものか・・・ということはずっと感じていたのです。そして、私だけの力など本当に限られたものです。だから、メンバーと話し合いを重ねる中で、皆の想いやアイディアにいつも感心し、刺激を受けています。
次の世代にこの地域を繋いでいくために自分にできることはなんなのだろう、少しでもできることがあったら、それはとてもとても素敵なことだと感じていて、自分の力のなさにガッカリしながらも、諦めずに取り組み続けたいと思っています。
そんなことを共に話せる人たちに今になって出逢えたこと自体がとても幸せだし、私もまだまだ成長したい、という気持ちにさせてもらっています。
そんな仲間たちと『CREW TAMBARA』(クルー タンバラ)という組織を立ち上げました。
最初の取り組みとして、丹原町の関谷地区の耕作放棄地をお借りして、地元の方にも協力していただき、ひまわりの種を蒔きました。ひまわりの種から油を搾油して、その油も使ってドーナッツを作ります。そこにはたくさんのアイディアが詰まっていて、私だけではとてもとても思いつかなったことです。まだまだ始まったばかりの取り組みで、次々面白いほどに色んな問題が発生するし、どう進んでいくのか、未来に繋げていくことができるのか、ここからの毎日の積み重ねが楽しみで、心配で、不安で、でもやっぱり楽しみです。
朝5時から畑を耕したり、草を刈ったり。その後は、それぞれの事業に戻って活動。夜、自分の事業を終えた後にまた集まって会議。オンライン会議の時は、それぞれが出張先にいることもある。
そんな、大人たちが真剣に何かに取り組む姿が、未来の丹原に何かしら繋がっていけば嬉しいな、と思っています。
今年の夏も暑くなりますね、きっと。
そして、忘れられない夏になりそうです。